ブックタイトルスポーツ山形100号

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概要

スポーツ山形100号

私にとってのオリンピック齋藤隆12スポーツ山形1001964年、私が小学校6年生の時に東京オリンピックが開催された。日本の金メダル第1号が、重量挙げの三宅義信選手であった。その12年後、モントリオールオリンピックに、自分が三宅さんの後を継いで出場するとは夢にも思わなかった。次のオリンピックは、モスクワであったが米国はじめ日本は参加していないため、当時のアスリートにとっては、8年に一度のオリンピックとなり、まさに幸運であったとしか言いようがない。競技成績は第4位であったが、それ以上に開会式へ参加しての感銘は大きかった。日本選手団の一員として、胸に日の丸をつけ一歩一歩と行進しながら、率直に「生まれて良かった。生まれてきた価値があった。」と言う思いが湧き上がった。この感動を、教え子達にも体験させてやりたいとの思いが、教師スタートの原動力にもなった。オリンピックの素晴らしさは、世界各国の選手が、肌の色・宗教・言語などを超えて同じルールで競技することができることであろう。また、オリンピック開催中は、地球上での戦争・紛争はなかったと記憶している。激動の21世紀を迎え、国家間の戦争は無くなったものの、連日、民族間の紛争や宗教の対立による痛ましい殺戮や事件が報道されている。2020年開催の東京オリンピック・パラリンピックにおいて、どんなドラマが生まれ、どんな夢や感動を与えてくれるか、どんな世界日本社会を築いてくれるか、オリンピックのもつ力に大いに期待したい。オリンピック出場時のオリンピック出場時のあのあ頃センターポールへ日の丸が上がった瞬間武田日大山形から早大に進学し、2年時に夢の五輪(ソウル)代表の座を掴むことが出来たのだが、代表獲得までの道のりは順調ではなかった。専門としていた個人メドレーは、世界との差が大きく、選考会で優勝しても代表入りが出来ない可能性があり、それまでほとんどレースに出ていないが密かに力をつけていたバタフライに勝負を懸けた。これが、周りの選手の心理にも影響してか、一発勝負の選考会で優勝し、夢舞台への切符を掴む事ができた。当時は現在のような強豪水泳日本とは違い、世界でメダルを狙えるのは鈴木大地選手(現日本水連会長)だけで、他は数人がワンランク上げてやっと決勝へ行こうというレベルであった。私も近い位置にはいたので最新であった高地トレーニングも取り入れ、決勝へと意気込んだ本番だったが、レース経験不足も影響してか残念ながらB決勝止まりに終わった。しかし、開会式での入場行進の感動や世界記録保持者や金メダリストと同じ組での予選レースなどを経験し、幸せな時間を過ごすことができた。そして何より感動したのは鈴木大地選手が強豪選手を抑え、大逆転で金メダルを獲得した事。米国、ソ連の国旗を横に日の丸がセンターポールに上がる瞬間は本当に感動し、チームメイトとして見ることができた事を誇らしく思えた。他国に比較し体が小さい日本人でもやれば出来る事を証明してくれたこの活躍が現在の水泳界の躍進に繋がっていると思う。現在、私は県水泳連盟理事長という重責を担っているが、今度は山形県の選手があの感動の光景を多くの方に見せられるよう尽力してまいりたい。聡